高級住宅地として開かれ名士※1が邸を構えた住吉村※1。
明治時代に高級住宅地として開かれた住吉村は、財界人が邸宅を構える郊外住宅地として発展していきます。
そのオーナーは住友氏、久原氏、野村氏、田辺氏、村山氏、武田氏など、錚々たる顔ぶれ。
この界隈には、そうした邸宅の記憶が刻まれています。※3
住吉村主要部
地図は昭和14年(1939)頃、邸宅街が完成した頂点の時期(『近代日本の郊外住宅地』坂本勝比古第22章P.424を加工)※3
六甲山、住吉川の自然が生きる風致地区。
計画地は、暮らしの環境が守られていく風致地区に指定されています。
神戸市の自然環境の保全と開発の調和を図るために定められている計画地は「住吉川・赤塚山風致地区」に位置し、
豊かな緑や清らかな川といった自然とともに暮らし、閑静な街並みが維持されていきます。※4
神戸市の住宅地の中で、景観を守る第3種風致地区。
計画地が位置する「住吉川・赤塚山風致地区」は、自然的景観を保持する住宅地等の地区で現存の風致を維持することが必要な第3種風致地区です。風致地区(第1種~第3種)は、神戸市全面積約55,703haのうち約9,215haで、その割合は約16.54%。中でも第3種風致地区は住宅地等の地区にあたり、現存する自然の景観が保たれる住宅地です。※4
明治の開港でいち早く根差した西洋文化。
近代への変わり目には神戸が開港場として選ばれ、阪神間には海外からの文化が流入しました。
大正から昭和初期まで産業が盛んな大阪と、世界との交易が進展する神戸との間である阪神間で、
日常生活のさまざまな場面に西欧様式を取り入れ、独自に進化しました。※5
阪神間モダニズム※2文化が花開いた場所。
大正時代に郊外住宅地への需要が高まり、資産家や文化人とともに外国人が阪神間(六甲山麓の南斜面など)に移り住み、
日本のおける先駆的な郊外型住宅地が造られました。日本の伝統的な建築様式と組み合わせた和洋折衷型の建築様式や
独自の芸術文化などが生み出されて阪神間モダニズムが花開くことになり、
ここ住吉山手でも名士たちによる邸宅群が築かれました。※5
■現地周辺の建物
旧乾邸
徒歩5分(No.2~13)、徒歩4分(No.1)、徒歩6分(No.14)
旧乾邸は、1936(昭和11)年頃、乾汽船株式会社を設立した乾氏の自宅として、旧住吉村(現在の住吉山手5丁目)に建築。阪神間モダニズムを象徴する風格で、洋風を基調としながら巧みに和洋を折衷、重厚さの中に繊細なデザインを取り込む邸宅です。建物全体が神戸市指定有形文化財、庭園の一部は神戸市指定名勝。
白鶴美術館
徒歩6分(No.2~14)、徒歩5分(No.1)
白鶴美術館は、嘉納治兵衛(鶴翁・白鶴酒造7代)が私蔵するコレクションを多くの人に触れてほしいと1934(昭和34)年に開館。国宝2件(75点)、重要文化財22件(39点)を含む約1450点以上の作品が所蔵されています。
御影公会堂
徒歩26分(No.1~14)
旧御影町が白鶴酒造7代目嘉納氏より寄付を受け1933(昭和8)年建設。モダニズムを基調に多様な造形表現を取込んだ、独創的な意匠の文化施設。
※1.東灘区の歴史(出典:神戸市ホームページより)
※2.阪神間とは大阪と神戸の間に位置する地域であり、神戸市の東部(東灘区・灘区)、尼崎市、西宮市、芦屋市、伊丹市、宝塚市、川西市、三田市、猪名川町をいう(出典:兵庫県ホームページ)。
※3.東灘区ゆかりの偉人に関する講演会(出典:神戸市ホームページより)
※4.神戸市の風致地区(出典:神戸市役所ホームページより)
※5.阪神間モダニズム再発信プロジェクト(出典:兵庫県ホームページより)
※掲載の環境写真は2023年10月に撮影したものです。
※掲載の徒歩分数は1分=80mとして算出し、端数は切り上げております。
※2023年11月現在の情報をもとに作成しておりますので、今後変更となる場合がございます。予めご了承ください。